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三笠ジオパーク(Mikasa Geopark)~日本ジオパーク認定

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三笠ジオパークの基本情報

三笠ジオパークの指定エリアは、三笠市全体です。三笠市では、幌内地区と呼ばれる場所で、1868年に「石炭」が偶然発見されました。三笠市はそれを契機に開拓され、そのため、まちの形成そのものが、「ジオ」と密接に関わってきた土地といえます。

三笠ジオパークでは5月~10月、ジオツアーを開催しています。ジオツアーでは個人ではいくことのできない場所に行ったり、貴重なお話を聞いたりすることができます。詳しくは下記問い合わせ先でご確認ください。

【問合せ先】

三笠ジオパーク推進協議会

〒068-2192 北海道三笠市幸町2番地 三笠市役所 商工観光課内

TEL 01267-2-3997 FAX 01267-2-7880

三笠ジオパークの拠点施設

三笠市立博物館

別名「化石の博物館」とも言われ、直径138cmの日本最大のアンモナイトや天然記念物に指定されている「エゾミカサリュウ」の化石をはじめとする約1000点の化石を展示しています。また、炭鉱や縄文時代から明治の開拓期までの郷土資料の展示や、三笠市の豊かな自然を知ることができる屋外博物館なども整備されています。

住所
〒068-2111 北海道三笠市幾春別錦町1丁目212-1

Google マップ

連絡先
電話:01267-6-7545
FAX:01267-6-8455
Email:hakubutsukan@city.mikasa.hokkaido.jp
開館時間
9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日

毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

※11月~3月は祝日も休館

年末年始(12月30日~1月4日)

入館料
一般(高校生以上):450円(360円)
小・中学生:150円(120円)
小学生未満:無料
※()内は団体料金で、20名以上となります。
※特別展開催期間中は別途特別展観覧料が必要となる場合があります。

三笠鉄道記念館

幌内鉄道は、1882年、幌内炭鉱から採掘された石炭を本州へ輸送するため、北海道で最初に敷設された鉄道で、産業鉄道としては日本で初めてのものでした。三笠鉄道記念館は、北海道鉄道発祥の地として歴史的遺産・文化保存のため、1987年にオープンしました。館内には、明治時代の貴重な資料や、大正、昭和期に実際に使用された時刻表や制服、SL部品、「D51」や「弁慶号」などのSL模型などが展示されています。

また、本物の食堂車を「キッチンポロナイ」というレストランとして活用しています。土・日曜、祝日、鉄道村イベント開催日のみ営業しています。

住所
〒068-2145 北海道三笠市幌内町2丁目287

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問合せ
電話:01267-3-1123  
FAX:01267-2-6965
開館時間
9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日

毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

冬期休館:10月16日~4月15日

入館料

一般(高校生以上):530円(430円)
小・中学生:210円(160円)
小学生未満:無料
※()内は団体料金で、20名以上となります。
※その他共通券もあります

※SL・S-304号やミニ新幹線の乗車料金は別途300円かかります。

三笠市観光協会

国道12号沿いの道の駅三笠にあります。

道の駅に関してはこちらの記事で紹介しています。

 

goldsky.hatenablog.com

住所
 〒068-2165 北海道三笠市岡山1056

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問合せ
電話:01267-3-2828
開館時間
8:30~18:00(10月~3月は17:00まで)
休館日

毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

三笠ジオパークのテーマ

さあ、行こう!一億年時間旅行へ〜石炭が紡ぐ大地と人々の物語

三笠市の幌内地区と呼ばれる場所で大地の遺産である「石炭」が偶然発見されたのは1868年。

この発見に伴い、「幌内炭鉱」が設置され、採掘された石炭を輸送するため、北海道初の鉄道となる「幌内鉄道」が敷設されました。さらに、石炭を採掘するため、刑務所も設置され、囚人が炭鉱労働に使役された場所でもあります。三笠市には「炭鉱」の遺構がたくさん残っています。

また、三笠市は、アンモナイトなどの化石が、豊富に産出している地域でもあります。

そもそもアンモナイトは、石炭調査をしていて発見されたようです。アメリカ合衆国の鉱山学者ベンジャミン・スミス・ライマンが北海道を3年にわたって調査した結果を表した「日本蝦夷地質要略之図」の説明書的な文書「北海道地質総論」の論文の中にそのような記載があるそうです。

三笠周辺では、約5000万年前の石炭を含む地層の隣に、約1億年前のアンモナイトを含む地層が分布しています。これは、北海道の西側の大地(ユーラシアプレート)と東側の大地(北米プレート)の2つの大地の衝突によって大地がめくれあがったためだと考えられます。

三笠ジオパークでは、約1億年前のアンモナイトを含む地層と、約5000万年前の石炭を含む地層が見ることができる。つまり、一億年時間旅行を楽しむことができる場所ということと、この1億年の歴史を結びつけたものは、「石炭」だったと言えることから三笠ジオパークのテーマを「さあ、行こう!一億年時間旅行へ〜石炭が紡ぐ大地と人々の物語」と決めたようです。

三笠ジオパークのジオサイト

三笠ジオパークは、三笠市全域にわたり、「桂沢エリア」「野外博物館エリア」「幾春別・奔別エリア」「幌内エリア」「三笠エリア」「達布山エリア」の6つのエリアからなります。

桂沢エリア

桂沢エリアは、約1億年前の海の底に積もった地層からなり、アンモナイトやイノセラムス(二枚貝)などたくさんの化石が産出されています。

また、桂沢ダム周辺は紅葉の絶景ポイントとしても有名です。

桂沢ダム

1957年に完成した、北海道で初めての国土交通省北海道開発局が管理する多目的ダムです。重力式コンクリートダムで、飲料用水、農業用水、洪水調節、水力発電などに使用されていますが、「工業用水」や環境に配慮した「流水の正常な機能の維持」といった新たな目的が生じたため、桂沢ダムの嵩上げにより建設を行う、新桂沢ダムと幾春別川の支川である奔別川に洪水調節機能のみを有する三笠ぽんべつダムを建設する「幾春別川総合開発事業」が進められています(工期: 昭和60年度から令和12年度までの予定)。

ダム周辺地域は、白亜系の地質にあたり、良質なアンモナイトや二枚貝の化石等、数多くの化石が産出されています。三笠市では、ダム工事に伴い産出する化石を保全するため、専門家に協力を仰ぎ、重要なものについては、登録や展示が行われています。

〒068-2101 北海道三笠市桂沢

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桂沢ダム原石山

原石山では、1億年前に海の底で堆積した地層である、三笠層を見ることができます。この砂岩層から、桂沢ダムの堤体部分で使用されたコンクリート用骨材が切り出されました。
原石山は、三笠市主催のジオツアーで見学できます。

※個人での立ち入りはできません

野外博物館エリア

市立博物館の南側に位置する野外博物館は、炭鉱の遺構、石炭、化石などを片道1.2kmのサイクリングロードとして整備されたものです(歩行者と自転車しか入れません)。

ジオサイトには説明看板があります。また、有料となりますが「三笠ジオパーク推進協議会事務局」には、ガイド員もいます。

散策上の注意

  • 散策路以外の場所に立ち入らないでください。
  • 自然や地質・産業遺産の保護と保全のため、野草や樹木を傷つけたり、採取したり、昆虫や野生動物の捕獲をしないでください。
  • ごみは持ち帰ってください。
  • 火気厳禁です。

〒068-2111 北海道三笠市幾春別錦町1丁目212−1

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森林鉄道跡

三笠町(現・三笠市)内の森林鉄道は、三笠町内の国有林を伐採し搬出することを目的に、1938年から1956年まで運行していました。森林鉄道は幾春別森林鉄道とも呼ばれ、幾春別地区および桂沢地区に敷設され、一般住民も利用することができましたが、沿線に桂沢ダムが建設され代替林道が建設されたことや、住民の転居が進められたことから1956年の桂沢ダム完成目前に廃止となりました。

野外博物館は、この森林鉄道跡を利用して1990年に整備されたもので、動植物や地層を観察できる散策路となっています。

場所

〒068-2113 北海道三笠市幾春別山手町

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問合せ先

三笠ジオパーク推進協議会事務局

TEL 01267-2-3997(平日 8:30~17:00)

閉鎖
例年11月頃から5月下旬頃まで雪のために閉鎖
降水量が多い場合、がけ崩れ等の危険の恐れがあることから、そうした際は施設点検のために適宜閉鎖を行っています。

幾春別層

主に川の底に砂や泥がつもった地層で、砂岩層、泥岩層、石炭層からなります。対岸には大きな露頭がみえ、長い年月風雨による浸食作用を受けると、より軟らかい石炭層や泥岩層は先に削られ、より硬い砂岩層は削られずに残るという、差別浸食という現象が見られます。

旧幾春別炭鉱錦立坑櫓

現存する立坑櫓では道内で最も古いものです。櫓の高さは約10m、地下約215mの深さがあります。

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旧錦杭杭口

錦坑坑口は地下で錦立坑とつながっており、石炭はここから現在の三笠市立博物館の近くにあった選炭場へトロッコで運び出されていました。坑口から垂直に約197m下った深部には、炭層に沿っていくつもの坑道が延びていました。

石炭

石炭層の露頭を見ることができます。

石炭は、植物を起源とする化石エネルギー資源で、大昔(数千万年前~数億年前)に植物が湖や沼の底に積み重なったものが、地殻変動や造山活動等により地中の熱や圧力の影響を受け、炭素が濃集して石炭化したものです。

垂直な地層

三笠付近の地層は、ほぼ垂直になっています。これは約1300万年前から始まった日高山脈の上昇期に大きな力を受けてできたと考えられます。

地層は、主に川や海などの水の中で砂や泥がつもって水平に形成されますが、垂直な地層は、プレート運動により地層が押し曲げられてできたと考えられます。

狸掘り跡

掘られていた正確な時期は不明ですが、この付近の石炭層はほぼ垂直に立っているため、ほぼまっすぐ奥へ掘り進められています。

狸掘りとは、鉱石を追って無計画に掘り進む採鉱法の事を言い、タヌキの巣穴に似た不規則なトンネルが作られるためそういう名前が付いたようです。

ひとまたぎ5千万年

約5000万年前の地層と約1億年前の地層が隣り合っていて、この境界をまたぐと一気に5000万年の時を越えることができます。

三笠層

三笠市に分布する砂岩層「中部蝦夷層群・三笠層」は、白亜紀の比較的浅い海の底で堆積した地層で、二枚貝類、巻貝類、アンモナイトなど、多種多様な海洋生物の化石が発見されることで有名です。

断層

地下の地層もしくは岩盤に力が加わって割れ、割れた面に沿ってずれ動いて食い違いが生じた状態を言い、その断面を見ることができます。

イノセラムス

イノセラムスはかなり大型になる種がいくつか知られていますが、この付近に分布する地層(三笠層)からは、殻の大きさが1m近くにもなる大型の種類が産出します。

イノセラムスは、約2億年前から約6600万年前まで生息した、厚い殻をもつ二枚貝です。

神泉隧道

1938年から運行した森林鉄道の線路上に作られた素掘りのトンネルです。周辺が約1億年前にできた硬い地層のため、トンネル掘削時に周りの壁が崩れないような工夫をせずに、そのまま掘り進む方法を取ったと考えられます。

鏡肌

鏡肌上には、断層のずれの方向を示す条線を観察できることが多く、そこから地層がどの方向に動いたのかを調べることができます。通常、鏡のように滑らかで、光沢をもった断層面ですが、ここで見られる鏡肌は長い年月の風化により、その光沢が失われています。

鏡肌とは、断層運動に伴う摩擦によって生じる鏡のように磨かれた断層面で、硬くて均質な岩石に見られます。

神泉閣跡

神泉閣は、1910年ころに建てられた桂沢の旅館で、当時、人が歩ける道は対岸にあったため、川には吊り橋が架けられ、川中にある大きな岩に橋の支柱が立てられていました。1935年の森林鉄道の着工とともに廃業となりました。現在でも、川中にある大きな岩を見ることができます。

桂沢神居古潭

約1億年前の硬い地層の三笠層を幾春別川が川岸の険しい地形を作っています。この周辺の地層からはアンモナイトが産出されます。

神居古潭は旭川の神居古潭の景色と似ているため付けられたという事です。

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幾春別・奔別エリア

炭鉱施設の遺構やまち並みから炭鉱まちの面影を感じることができます。人工的にできた滝もあり、周辺で泥岩の地層を見ることもできます。

旧幾春別炭鉱選炭場と炭鉱住宅

選炭場は現在の三笠市立博物館付近にあり、周辺には炭鉱住宅が建ち並んでいました。

旧奔別炭鉱

住友奔別炭鉱は、1902年に奈良炭鉱として開鉱。1928年に住友炭鉱に売却されました。住友奔別炭鉱立坑は深部の総合開発のため、1960年にドイツの技術を導入し、合理化の旗手として建設されましたが、1971年に閉山しました。

※私有地であるため、敷地内への立ち入りは禁止されています。

アカダモの木

ハルニレのことをいいます。この木は御神木とされ、白蛇が住むといわれているそうです。

むかし、三笠へは炭鉱で職を求めて全国各地から移住がありましたが、ここには、熊本出身の労働者が団体で移住したため、熊本長屋と呼ばれる長屋が建てられていました。

〒068-2115 北海道三笠市幾春別滝見町

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幾春別橋

1926年建設で、当時としては近代的でおしゃれな橋でした。今も地域の人々が行き交う橋ですが、車は通れません。「コンクリ橋」とか「川向橋」とも呼ばれています。

〒068-2112 北海道三笠市幾春別川向町

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幾春別市街地

かつて幾春別炭鉱と奔別炭鉱という二大炭鉱を背景に栄えた幾春別市街地は、幾春別川の、河岸段丘上あるいは谷底平地に展開しました。現在も大正時代の建物があるなど、当時の面影を偲ぶことができます。

幾春別神社

祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、大國主神(おおくにぬしのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、鹿屋野姫神(かやぬひめのかみ)です。

明治期に徳島県熊本県の開拓移住者が炭鉱開発の進展と集落の形成を背景にできた神社です。当初は幾春別市街の中心部にありましたが、1898年に現在の場所に落ち着きました。1935年、社務所が焼失し、更に1951年には不審火によって社殿が焼失しましたが翌1952年幾春別砿を始め市街有志によって再建されました。

毎年5月には炭山祭りが行われている、炭鉱とは縁の深い神社です。炭山祭りは北海道に炭鉱が無くなってから見かけなくなりましたが、三笠では今も執り行われています。

〒068-2116 三笠市幾春別町3丁目117番地

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魚染めの滝

幾春別炭鉱の石炭積込所に通じる線路敷設のため幾春別川の流路を切り替えた際にできたもので、工事中の豪雨によって一夜にして一気に滝になってしまったのだとか。滝つぼにたくさんの魚が泳いでいることからこの名がつけられたようです。

滝の周辺は、約4000万年前の海の底に泥がつもった幌内層からできています。

友子の墓

「友子制度」とは、炭鉱労働者の自治的な共済団体で、炭鉱労働者の間で相互に親子・兄弟の関係を結び、相互扶助など行っていました。子分が親分・兄弟分の墓を建立することがあり、これを「友子の墓」といいます。

三笠市の墓地には、今なお複数の「友子の墓」が現存しており、特に、弥生墓地には、少なくとも51基の友子の墓が現存することが確認されています。

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※現在も使用している墓地なので、迷惑にならないよう、ご配慮ください。

旧炭鉱住宅

主に炭鉱周辺に形成された、炭鉱労働者用の住宅のことで、三笠の炭鉱は山側にあったため、そこで働く人々は平らな土地の少ない場所にたくさんの家を建てる必要がありました。そのため、長屋状になった家が多く建てられたと考えられます。老朽化などで取り壊された建物もありますが、取り壊しを免れた炭住は今も残っています。

※現在も使用されています

旧幌内炭鉱立坑櫓

旧幌内炭鉱立坑櫓は、1966年に建設された、高さ約40m、地下約1077mの巨大エレベーターで一度に50人の運搬ができました。

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※私有地のため、敷地内への立入りできません。

幌内エリア

石炭を本州へ輸送するために誕生した日本初の産業鉄道「幌内鉄道」。鉄道記念館では北海道鉄道の歴史を学ぶことができます。また、鉄道の跡をトロッコに乗りながら楽しむこともできます。

クロフォード公園

1878年、北海道内最初の鉄道である幌内鉄道の主要駅として「幌内太駅(ほろないぶとえき)」が開業、1882年には官営幌内鉄道の札幌 - 幌内間開業に伴い、幌内太駅(ほろないぶとえき)として新設されました。1944年には、駅名が「三笠駅」へ名称変更され1987年の幌内線の全線廃止に伴い、廃駅となりました。

現在、三笠駅は三笠鉄道村三笠ゾーン(クロフォード公園)として活用されており、当時を再現した幌内太駅舎や跨線橋、列車展示がされています。幌内鉄道の建設を指導したジョセフ・ユーリー・クロフォードの功績を讃えて名付けられた公園です。

幌内廃線(幌内鉄道)

クロフォード公園では、幌内鉄道の廃線を利用した「三笠トロッコ鉄道」に乗車することができます。

住所

〒068-2141 北海道三笠市本町971-1三笠市本町

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連絡先
01267-2-2255
受付時間
9:00~16:00(通常期)
9:00~16:40(繁忙期)
運休日

毎週月曜日/月曜日が祝日の場合は翌平日

10月下旬~4月下旬

GW以降の5月の平日は保線作業の為運休となります(週末のみ運行)

体験料金
【体験トロッコ運転】
大人:1500円(運転)/1200円(同乗)
小人:600円
受付は旧三笠駅で先着順受付乗車となります
【あかしあ号軍団】
250円(一律)

三笠鉄道村

三笠鉄道村は、三笠鉄道記念館のある「幌内ゾーン」とクロフォード公園にある「三笠ゾーン」の2つのゾーンで構成されています。

日本の鉄道市場3番目に開通した幌内鉄道の偉業を伝えるとともに、現在に至るまでの鉄道交通の歴史文化を紹介する鉄道記念館と、記念館周辺では蒸気機関車など数々の列車を展示しています。

「鉄道記念館」については「三笠ジオパークの拠点施設」の「鉄道記念館」をご覧ください。

クロフォード公園については「クロフォード公園」と「幌内廃線(幌内鉄道)」を参照してください。

旧幌内炭鉱選炭場

選炭場では石炭の選炭作業が行われていました。果物だと選果場となりますね。石炭の場合、石炭とそれ以外の不要な土砂とが一緒に地上に掘り出されます。この中から石炭だけを取り出して残りを「ズリ」と呼んでいました。そのズリでできた山をズリ山と呼びます。

旧幌内炭鉱常磐杭

坑道は地下へ向けて斜めに下っていく斜坑という坂になっています。ベルトコンベアーで外の選炭場までつないで効率よく石炭を運び出していました。

旧幌内炭鉱音羽杭

三笠で最初に掘られた坑口で、当初は大坑道と呼ばれていました。北海道で唯一、囚人達による炭鉱での労役が行われた場所であり、過酷な労働の中で命を落とす囚人も多くいました。

幌内神社本殿跡

炭鉱に関わる人々は、この神に、仕事の無事とたくさんの石炭が採れることを祈っていました。

旧幌内炭鉱変電所

この施設で、20km離れた南側の夕張の発電所から送られてくる高圧の電気を、炭鉱内の機械に使用できるような電圧に落としていました。変電所が設置されたことで、電気で動く大型機械が登場し、石炭を採掘する効率が向上しました。

幌内炭鉱景観公園(北炭幌内炭鉱施設跡地)

「幌内エリア」の「幌内炭鉱」のジオエリアは、「みかさ炭鉱の記憶再生塾」により整備され、景観公園「幌内炭鉱自然公園」として公開されています。景観公園内では、音羽坑、常磐坑、坑内神社、選炭場など関連施設が自然と同化していく姿を見ることができます。

068-2100
三笠市幌内本沢町

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ガイド料:参加者1人につき3.000円
 (収益は公園整備に充てます)

お問い合わせ:みかさ炭鉱の記憶再生塾事務局
(伊佐治)Tel.01267-2-3795

三笠エリア

空知集治監(刑務所)や、開拓にかけた先人たちの努力の跡を知ることができます。

抜羽の沢

1888年、抜羽の沢に池を作り、そこから水道管を通して飲み水を引く工事が進められ、集治監や村に水が供給されるようになりました。

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千人塚史跡公園

空知集治監の囚人たちの墓がある史跡公園です。1882年に空知集治監を開設してから1901年に廃監するまで、北海道の道路整備や炭鉱作業などの役務で亡くなった囚人1,158人の霊を慰めるために建てられたものです。

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北海盆踊り櫓

北海道の盆おどりは、越後から小樽の高島に集団移住した人たちによる「ヤレサ型盆踊唄」が基本といわれ、その後、アレンジが加わり炭鉱開発が盛んだった三笠市の幾春別で発展しました。

三笠中央公園には、かつての炭鉱全盛時代の高さ約8mの大きな盆踊り櫓が再現され、毎年8月14日、15日の2日間、「三笠北海盆おどり」が盛大に行われています。

〒068-2153 北海道三笠市多賀町21−1

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市来知神社

御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、大國主神(おおくにぬしのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、大國魂神(おおくにたまのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)です。

市来知村(三笠市の前身)の開村と同時の、1882年に小さなほこらを建立したことから始まった神社で、1886年に現在地に境内、神殿を建て、7月7日遷座祭並びに初めて例大祭を執り行いました。

なお、「市来知」はアイヌ語の「イ・チャル・ウシ」が語源で、「それ(熊)の足跡がたくさんある場所」を意味します。

〒068-2156 三笠市宮本町488番地

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三笠山

1882年、空知集治監が設置された際、裏側(北側)にある山のかたちが奈良の三笠山(現在の若草山)に似ていることから、「三笠山」と呼ばれるようになりました。

1913年に三笠で大凶作が起こった際、村人たちが再び凶作が起こらないよう観音像(地蔵尊)を1915年に祀ったことから「観音山」とも呼ばれています。

旧空知集治監典獄官舎レンガ煙突

1890年に空知集治監の典獄(刑務所長)官舎が全面改築された時に設けられました。当時、官舎は要人の宿泊所としても使われていました。現在はレンガ煙突のみが残っており、三笠市の指定文化財に指定されています。このレンガは空知集治監(刑務所)自製のもので、高さが約8mあり屋根瓦も作られていました。

〒068-2161 三笠市本郷町205番地23

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達布山エリア

800万年前ころの達布山は、海の底でした。ここは明治の要人たちが開拓の計画を立てるために音連れた歴史ある場所です。周辺では地形と気候を活かして、ワイン用のぶどうが栽培されています。

達布山

アイヌ語の「タプ・コブ(丸いこぶのような山)」が語源で、標高144mの頂上からは石狩平野が一望できます。明治初期には炭鉱の開発のため榎本武揚や山形有明など多くの要人が視察に訪れ頂上から幌内鉄道などの開拓計画を立てたといわれています。

また、石狩低地東縁断層と呼ばれる活動層によってつくられた地形を一望することができます。

ブドウ畑とワイナリー

達布山のふもとの丘陵地では、その斜面を利用してワイン用のぶどうが栽培されています。特に小高い丘にある「山﨑ワイナリー」は、ヨーロッパのワイン用品種を作付けし、農家として日本で初めてワインの醸造免許を取得し、自身の農園で生産されたぶどうのみを使用したこだわりのワインを製造しています。三笠市の気候風土を表現した質の高いワインは、愛好家の間で高く評価されているようです。

※私有地のため、個人での立ち入りはできません。

追分-峰延層露頭

約500万年前の追分層と峰延層と呼ばれる2つの地層の境界を観察することができます。追分層は泥岩層(深い海の地層)、その上側にある峰延層は砂岩層(浅い海の地層)からできています。

※私有地のため、個人での立ち入りはできません。

岩見沢層露頭

達布山を構成している硬い泥岩層を観察することができます。この硬い地層は、約800万年前に珪藻と呼ばれるガラス質の殻をもつ藻類が深い海の底に大量に降りつもって形成されたと考えられます。

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