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札幌市時計台 もう一度見直してほしい

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「日本三大がっかり名所」とまで言われる札幌市時計台。確かに写真で見る時計台は周りの風景を写さないため、実際に行ってみてがっかりしてしまう人も多いでしょう。でも、この時計台を景色だけ見るのではなく、もっとしっかり見てほしい。中には資料館もあり、時計台として札幌市の時をしっかり刻んできたことがわかるでしょう。

 

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時計台(「2000ピクセル以上のフリー写真素材集」サイトより)

札幌市時計台の歴史

1878年クラーク博士の構想に基づき札幌農学校内に設置された演武場が時計台の前身です。

1881年黒田清隆の指示により時計塔が付設されました。

1888年札幌の標準時計に指定され、周囲に響き渡った鐘の音は「農学校の大時計」として親しまれてきました。

1906年(明治39年)学校の移転の際、演武場は札幌市が譲り受け、時計塔は農学校の寄宿舎があった位置に移動し、時計台の安住の地となりました。

札幌市時計台の保守

通常塔時計は電動巻き上げとなっていて、古いものでも大部分の塔時計が電動に切り替えられています。そんな中、札幌市時計台は今も手動で週2回重りの巻き上げを行い、日々点検・清掃を欠かしません。

最初、時刻調整を行ったのは米人教師のピーポデーでした。後を引き継いだのは日本の教師工藤精一であり、明治14年8月12日の塔時計運転開始の報告書を書いていますが、実際の時計の保守と重りの巻き上げを誰が行っていたのかはわかっていません。
明治21年札幌の標準時計に指定されてからは、市内の中野時計店が保守と巻き上げを行っていたと推測されています。

明治36年農学校が移転し、時計台は札幌市が譲り受け北海道教育会、札幌市教育会が昭和18年まで時計台を使用しました。この期間の前半で時計保守を担当したのは教育会の書記職員でした。大正15年まで佐藤広吉さん、昭和4年まで林矢太郎さん、昭和8年まで森善次さんという3人の方がいたことがわかっています。

昭和3年中野時計店で修業した井上清さんが時計台の北側に時計店を構えた頃、時計台の時計は止まっていたと清さんは言っています。このとき機械は錆びついていました。幾日もかけて時計の分解掃除をした後、時計はふたたび動き鐘を鳴らし始めました。清さんによる時計保守奉仕の始まりです。

息子の和雄さんは、敗戦とともに帰郷し札幌工業高校に通いながら清さんについて時計職人の道を歩みました。和雄さんにとっては必ずしも望んだ道ではなかったかも知れませんが、親子による時計保守通いが始まりました。

時計技師である井上さん親子の目から見て、ハワード社の塔時計は素晴らしいものでした。シンプルで無駄のない設計、鋼や真鍮を使った部品の材質の良さ、正確さと耐久性を考え抜いて作られた時計です。 週2回の重り巻き上げ、機械の点検と清掃、月毎の注油作業など80年という長い年月にわたり続けられてきました。地震などで振子の動きが乱れるなどして時計が止まったり遅れたりすると夜中でも時計台に駆けつけ点検し対処しなければなりませんでした。冬の寒さで、時計が止まったこともあります。 また、戦後日本が占領軍の施政下にあった昭和23~26年の4年の間サマータイムが実施され、サマータイムの始まりの日と終わりの日の年2回、午前零時に時計を早めたり遅らしたりする作業も必要でした。時計機械に異常が出ていなくても気を緩めてはいけないと井上和雄さんは言います。

井上清さんは平成8年99歳の高齢で亡くなり、後継者の指導に一人で頑張っていた和雄さんも、平成26年3月をもって一線を退きました。現役時代の井上さんは機械室に入室、退室する時は必ず時計機械に一礼をしました。演武場の建設を提言したクラーク博士、素晴らしい時計を作ったハワードさん、そして133年経ても狂いの無い時計塔を造った安達喜幸さんへの感謝の気持ちからです。保守を続けるうえで大切なことは「時計に惚れること」と言っていたそうです。

現在は、和雄さんに指導を受けた2名の職員が井上さんの言葉を噛みしめながら保守を行っています。

札幌市時計台について

札幌市時計台は日本最古の塔時計で、バルーンフレーム構造という木を薄板にし、それらをうろこ状に張りあげた外壁が特徴です。今は資料館として、また、2階ホールでは音楽会などがとりおこなわれています。

開館時間:8時45分〜17時10分(入館は17時まで)

休館日:年始 1月1日〜1月3日
観覧料:大人 200円/団体(20人以上) 180円/小中学生、高校生は無料
※障がい者手帳、療育手帳又は精神障がい者保健福祉手帳提示により手帳所持者と介護者1名(車椅子使用者の場合は2名まで)が無料となります。
※教師の方の児童生徒引率などについて減免制度があります。

札幌時計台は明治の札幌火災の際には旧札幌農学校の生徒が屋根に上り火の粉を払い、太平洋戦争の際は鉄の供出や戦火を逃れてきました。そんな中、約130年の時を刻んできた時計台は今も札幌市民のシンボルです。

 

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